古九谷鶴首徳利
江戸前期、寛文期、1650-1660年代前後
D2.1㎝ BodyD10.8㎝ H21.5㎝ BD6.9㎝
ほぼ全面甘手•口縁小ホツ有
詳細はお問い合わせ下さい。
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当時の富裕層の注文品、
古九谷三合徳利、
お茶事でお酒を振る舞う為のお道具、
350年以上、大切に受け継がれてきました。
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鶴首に唐草と朱圏線、
肩に朱地紋窓に小さな草花、
胴部も朱地紋の三窓に伸びやかな草花、
黒縁で文様を、朱・緑・黄を加彩、
花弁を白抜技法で描いています。
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上手の古九谷ではありませんが、
シンプルででふんわり、優しい印象です。
いつかは古九谷徳利を、とお考えの方にお勧めです。
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古九谷徳利の中振、550cc、三合徳利、
甘手による釉下ジカンがほぼ全体にありますが、
釉薬表面にダメージはなく滑らかです。
(使用には支障無)
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あまり多くありませんが、二本揃いでした。
(完品一本は販売済み)
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Condition
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全面甘手、ジカンは釉下で収まり表面ダメージ無
(高台内凹脇のジカン10㎜のみ、かろうじて爪にかかる程度)
口縁に8㎜•6㎜の極薄いホツ有
高台側面に巾12×3㎜の薄い削げ、座りに支障無
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*キズではありませんがご確認ください
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甘手による色剥離•色スレ•濃淡•黄染等多少
極小灰振•釉切•凹凸•シワ•色散り多少
微妙に鶴首は曲がり気味、気にならない程度
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畳付がつく状態で手前に紙一枚の隙
(手前を押し微揺れ、それなりに安定)
(薄ランチョンマット使用で解消、許容範囲)
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色削げは画像でご確認ください。
詳細はお問い合わせください。
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古九谷について:
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江戸初期に日本初の磁器が生産され伊万里と呼ばれました。
創世記伊万里を初期伊万里と呼びます。
(1610年代)
初期伊万里のすぐ後、驚異的な技術進歩により
日本初の色絵磁器、古九谷が登場しました。
(1640年代)
色絵は古九谷、染付を藍九谷、錆釉を吸坂と呼びます。
他に白磁・青磁・瑠璃は、
古九谷の名称を上下いづれかに足し呼ぶ事も有ります。
古九谷の時代は、様々な技術や様式が生まれ、
淘汰された興味深い時代です。
(1640年~1670年前後)
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なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?
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半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、
江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、
古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないかという説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。
「九谷論争」です。
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有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。
有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。
終結後も古九谷の名称は残りました。
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ただ、その後も調査は続いています。
疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。
古九谷独特の色彩や大胆で繊細な文様は本当に興味深いです。
古九谷徳利花窓絵鶴首徳利中振
¥170,000