古九谷白磁瑠璃縁2枚組 S-24-0407 SOLD
時代 江戸前期、寛文期、1650~1670年代前後
2枚セット価格
❶古九谷白磁瑠璃縁五寸皿
D15.6㎝(15.4) H2.3㎝ 完品
❷古九谷白磁瑠璃縁富士山形皿
D16.9×9.2㎝ H2.6㎝(2.3) 共に最大 完品
大きな月と富士山に見えたりします⁈
珍しい瑠璃縁の白磁2枚組
富士山形は、色絵古九谷、金銀彩古九谷、藍九谷にもある!
比較すると面白そう!
白磁五寸皿は、薄作りの綺麗な白磁に瑠璃縁、決まってます!
どちらも柴田コレクションに同手が掲載されています。
(富士山形は白磁はなく同形のみ、
6-No294瑠璃、2-No136色絵古九谷、3-No192金銀彩古九谷)
(白磁瑠璃縁五寸皿は、文様無の白磁同手掲載、7ーNo260)
江戸時代も人気の富士山、
富士山形の中皿や大皿、平向付の小皿が多く作られました。
江戸後期も、今も、富士山人気は不動ですね!
白磁の瑠璃縁、
究極の美、通好みの白磁は生産量は少ないです。
瑠璃縁の古九谷・柿右衛門も少なめです。
共に完品です。
多少難がありますが魅力が上回っています。
キズではありませんがご確認ください
❶
見込にかなりの凹凸、座りに支障無、画像参照
畳付がつく状態で中央手前後ろに紙一枚の隙有
(手前後ろを押し微揺れ、薄ランチョンマット使用で解消)
見込に小クッツキ多少、裏高台内に砂クッツキ有
極小灰振・クッツキ・釉切・凹凸・ムシクイ・釉スレ多少
❷
白磁は真白ではなく表裏に薄煙、灰色気味
瑠璃縁に濃淡斑・ムシクイ・凹凸多少
極小灰振・クッツキ・釉切・凹凸・釉スレ多少
古九谷は様々な種類があり、意外と多く現存しています。
日本初の磁器、初期伊万里のすぐ後の古九谷です。
当時の富裕層の大量需要がなければ、多種多様の器を大量に作ることはできません。
驚異的な技術進歩は、大量需要により生み出されたと考えられます
江戸初期に日本で初めて陶磁器が生産され伊万里と呼ばれました。
最初の伊万里を初期伊万里と呼びます。(1610年代)
古九谷は、初期伊万里のすぐ後、寛文期前後に作られた色絵磁器です。
驚異的な技術進歩により、日本初の色絵磁器が誕生しました。
(1640年代)
色絵は古九谷、染付古九谷は藍九谷、錆釉古九谷を吸坂と呼びます。
また青磁釉・瑠璃釉・白磁は、古九谷の名称を上下いづれかに足し呼ばれる事もあります。
寛文期前後は、様々な技術や様式が生まれ、淘汰された興味深い時代です。
(1640年~1670年代前後)
後の柿右衛門様式は古九谷のすぐ後、延宝期に確立されたと言われています。
柿右衛門様式の登場で古九谷は役目を終え終了します。
なぜこの時代の伊万里が古九谷と呼ばれているのでしょうか?
半世紀程前迄古九谷は、石川県の焼き物、江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないか?
という説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。
「九谷論争」です。
有田説は、江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。
有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。
終結後も古九谷の名称は残りました。
ただ、その後も調査は続いています。
疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。