初期伊万里、前期藍九谷
江戸前期、1640-1650年代前後
D14.0x12.5㎝ H2.9㎝(2.6) 共に最大
完品5枚揃 SOLD
(後4枚の画像はNO2-5の拡大画像)
詳細はお問い合わせ下さい
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江戸は始まったばかり
日本初の磁器伊万里も始まったばかり
初期伊万里5枚揃い
おうちごはんを通好みの器でいただく
お料理の隠し味?
こんな時、器の不思議な魅力、感じて下さい
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染付の古九谷、前期藍九谷、
最後の初期伊万里、江戸前期、
分銅形をアレンジ、 古染写、
ちょっと日本テイスト入ってます。
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見込に花幾何学文様、
縁上がりに白抜唐草と麻目、
裏全面に花と唐草をうめつくす、
福みたいな文字の裏銘です
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初期伊万里の様な厚みのある手、
初期伊万里から古九谷様式への過渡期、
平向付・端皿です。
多少の濃淡はありますが上がり発色は全て綺麗です。
左右前後の全高差、
分銅形の多少の不具合はありますが、
座りは全てよく、気にならない程度です。
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古九谷の時代、日本初の磁器、
伊万里の器は高級品でした。
殆どの日本人が磁器の存在さえ知らなかった時代です。
(当時庶民の器は木製漆器、陶器が主流)
伊万里は、
国内の一握りの富裕層、諸藩藩主や豪商達に好まれました。
(大量需要により、驚異的な進歩を遂げた)
(多種多様な器が大量に生産され需要に応えた)
(当時20客単位出荷)
古九谷は最上手からちょっと粗めの物迄、
驚く程多く現代に受け継がれています。
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Condition
No2:
口縁下に2㎜の釉切凹
No4:
見込に3㎜の釉切凹、側面白磁部に5㎜x5㎜釉切
高台畳付に製作時の15㎜の薄めの凹
(キズではないと判断、座り支障無、画像参照)
No5:
側面に釉切凹3ヶ所、
3㎜x4㎜, 2㎜x3㎜, 2㎜x2㎜
共に:
紅縁濃淡斑•ムシクイ•凹凸多少
極小灰振•クッツキ•釉切•釉下シワ•凹凸多少
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江戸初期に日本初の磁器が生産され伊万里と呼ばれました
(1610年代)
江戸時代の伊万里全てを古伊万里と呼ぶことが多いです。
(現在の佐賀県有田周辺で作られ、伊万里港から出荷)
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創世記伊万里を初期伊万里と呼びます。(1610年代)
初期伊万里のすぐ後、
驚異的な技術進歩により古九谷が登場しました。(1640年代)
(日本初の色絵古九谷、青磁,錆釉,瑠璃,白磁,染付等の古九谷)
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初期伊万里の大きな特徴は、
小さな高台、厚みのある器形です
初期伊万里は生掛けで作られています。
(成形後乾燥、素焼無で絵付、乾燥後釉を掛け窯に)
(古九谷様式後半には素焼を施した物も有)
後の時代、柿右衛門様式の伊万里と異なり、
ふんわりとした暖かみのある仕上がりです。
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始まったばかりの生産技術は当然未熟でした。
轆轤の使い方、呉須や釉薬の精製方法、登り窯の温度調整等
初めての事ばかりで大変だったと思います。
窯中、呉須発色の不具合、釉薬と磁体の伸縮の不具合、温度
調整の不具合で煙が入ったり、器形に歪みが出たり等々
ただ、日本初磁器生産に対する職人たちの強い気持が初期伊
万里の魅力になっています。
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初期伊万里の高台は三分の一高台といわれますが徐々に変化
します。(最初期の初期の高台は約三分の一高台が多い)
その後二分の一高台等少しずつ大きくなります。
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初期伊万里は当時茶人に好まれた古染写が多く作られました
一見、古染付に見えても初期伊万里だったりします。
また、初期伊万里後期に入ると技術向上により、
厚みの少ない初期伊万里、複雑な器形も多くなります。
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古九谷の時代は、
様々な技術や様式が生まれ淘汰された興味深い時代です。
(1640年~1670年前後)
後の柿右衛門様式は、
寛文期のすぐ後、延宝期に確立されたと言われています。
柿右衛門様式の登場、古九谷は役目を終え終了します。