古九谷梅鶯熨斗陽刻文様端皿
古九谷梅鶯熨斗陽刻文様端皿

古九谷梅鶯熨斗陽刻文様端皿

古九谷
江戸前期、寛文期、1650~1660年代前後

D16.1×9.9㎝ H3.0㎝(2.5) 紅縁漆押多少
SOLD
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何これっ⁈ 可愛い〜😄
:
にっこり笑ってる鶯⁈
濃い過ぎだよね梅花⁈
子供の絵みたいだけどなんか可愛い‼︎
釣られて微笑む、そんな古九谷です
:
お正月はアレ、ですね😁
“釣られて微笑む” 何か楽しいを飾りたい..
ぴったり‼️です。
:
陽刻熨斗文様を下方に、
余白を生かし梅鶯を、
赤•黒の縁取りに濃い赤•緑•紫•黄をのせて
輪花紅縁仕上げ、
裏は白磁に裏銘角福だけ、
古九谷は色々あって面白い、です。
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Condition
:
薄紅アタリ•ホツの漆押多少、最後の画像参照(ブラックライト使用画像)
右側は、巾11㎜、巾8㎜(紅ホツは少し深め気味)
左側は、巾20㎜、巾3-5㎜程3ヶ所
1㎜弱のムシクイレベルの紅アタリ多少、漆押5ヶ所程
(漆が馴染み目立たず、紅縁内で収まっている)
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※キズではありませんがご確認戴きたい詳細
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色スレ•色無•濃淡多少、許容範囲内
(特に梅花の陽刻部、黒縁取•紫枝、画像参照)
微かな薄い煙灰振多少、画像参照
(裏側は多少多め、目立たず許容範囲)
紅縁濃淡斑•紅無部•ムシクイ•凹凸多少
極小灰振•釉切•釉スレ•色散•凹凸多少
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”九谷論争“のおさらい“ (初めてご来店下さった方へ)
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古九谷は半世紀程前迄、石川県の焼き物、
江戸時代の九谷焼と言われていました。
昭和20年代、
古九谷と呼ばれる焼き物が、実は佐賀県有田で作られたものではないか?
という説が登場し、九谷説と有田説の論争が始まりました。
「九谷論争」です。
(明治時代から疑問を持つ方は多くいらっしゃた様です)
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有田説は、
江戸時代、海外へ輸出された伊万里の古九谷との共通性にありました。
有田説を支持する説が諸外国でも登場します。
その後、考古学的に生産地遺跡の発掘調査が双方で行われました。
素地の化学分析が行われた結果、有田説で終結しました。
終結後も古九谷の名称は残りました。
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ただ、その後も調査は続いています。
疑問点がまだあり、今後の研究により更に詳細が解明されればと思います。
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1640-1670年代の色絵伊万里が古九谷、
染付の古九谷が藍九谷です。
色絵古九谷は日本初の色絵磁器、つまり…
1670年代以降の色絵磁器、柿右衛門以前の色絵伊万里なんです。
:
日本初の磁器、初期伊万里誕生からほんの30年程後に、
李朝の様な厚みのある初期伊万里から、
薄作りの中国磁器みたいな色絵や染付ができたなんて…
猛スピード成長を後押しをした人たちは誰?
:
政変により国を追われた中国磁器職人たちでした。
彼らは惜しみなく技術を伝え、改良を加えました。
1640年代、伊万里の急激な進歩は、
中国技術と日本人の高い学習能力の成果、
だった様です。

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