くらわんか波佐見窯江戸中期草花扇子厚手七寸皿
江戸中期末、1750年代前後
D19.6㎝(19.2) H4.6㎝(4.7) 完品
:
重さ780g、ずっしり重たい!
江戸初期の同サイズ初期伊万里だと……470g前後、
1.6倍、300gオーバーという感じです。
:
江戸中期の典型的なくらわんか七寸皿、
江戸初の初期伊万里同様、生掛けで作られています。
:
縁周りに菖蒲の様な草花と扇子を太い筆でさらっと、
くらわんか定番の重ね焼き跡
(一度に多くの器を窯に入れる為の工夫)
(見込脇円帯は無釉、砂を撒き皿を重ねる)
コンニャク印判の五弁花、シンプルな裏文様、
ずっしり重く丈夫、七寸皿です。
(正確には19.5㎝前後、深さも口径の内?)
:
江戸中期の伊万里は、
素焼後に文様を描く柿右衛門様式が主流の時代、
高級な器生産を目指します。
:
同時代にくらわんかは、
生掛け技法のまま、厚手の器を量産しました。
くらわんか量産は波佐見窯が最初といわれています。
江戸の終わりまで続きました。
:
“くらわんか”て何?
:
江戸時代、淀川を上る船に、お惣菜売の小舟、くらわんか舟が使用した器てす。
(初期伊万里同様生掛けて作られた厚手、重心が低い)
(長崎県波佐見で多く製造、陶片が今も岸辺に上かる)
(“くらわんか”は“食へませんか“の方言)
:
大阪と京を往復する船、三十石船について
江戸初期に伏見〜大阪間の淀川旅客専用船として登場
(約17m巾約2.5m、乗客定員約30人、船頭は約5人)
(45km、朝大阪発、夕刻伏見着 / 夜伏見発、早朝大阪着)
:
流れる川を逆に上る?どんな方法で?
川底に棹を刺して進んたり、綱を引くポイントがあって進んた様てす。
かなりの重労働だったみたいです。
下りも同様に加速、高速船?
:
Condition
*キズではありませんがご確認戴きたい詳細
:
重ね焼き部にクッツキ削げ・薄いヒビシワ有
(接着防止の砂が少なく剥がす際に出来た削げヒビ)
(削げ部9㎜、薄いヒビシワ20㎜、裏に通らず表面のみ)
:
微妙に真円ではないが目立たず座りに支障無
輪花縁厚に極薄い煙•凹凸多少
(目立たずくらわんかの許容範囲、画像参照)
極小灰振・釉切・凹凸・濃淡多少
伊万里くらわんか草花文七寸皿
¥36,000